【正論】曽野綾子 どこまで恵まれれば気が済む・バザー品に、ミサンガをハンドメイドしませんか。親子で対話できる話題・教育問題から気になる話題についてのブログです。

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【正論】曽野綾子 どこまで恵まれれば気が済む


【正論】曽野綾子 どこまで恵まれれば気が済む

是非この話しを多くの方に読んでほしい、そう思いました。
意見は個人差もあり賛否両論おありだと思いますが
豊かな国で産まれ、豊かな国で育つ日本人には
もう一度見直すべきときがきていると思います。
二極化の波がおしよせ豊かではないという方もいるでしょう。
そう取り上げる私も低層家庭であり、壮絶な生活を経験したことがあります。
なので、今、どんなに低層家庭であっても、ありがたいと思える小さな幸せを感じる
こともあります。友人の中には有名な海外援助機関で働いている方もおり
貧しい国を見つめ、日本は幸せであるといいます。
前置きが長くすみません。記事に戻しますね。


■「引き算」人生で落ち込む日本人≪欠落部分に耐えられず≫
戦争もなく、食料危機もなく、学校へ行けない物理的な理由もないというのに、
そして私流の判断をつけ加えれば、今日食べるものがないというのでもなく、
動物のように雨に濡れて寝るという家に住んでいるのでもなく、
お風呂に入れず病気にかかってもお金がなければ完全に放置される
途上国暮らしでもないのに、・・・・・
読売新聞社が昨年12月行った全国世論調査では、30、40代では、
自分の心の健康に不安がある、と答えた人が40%にも達したという。
 しかも多くの人たちが、不安の原因を仕事上のストレスと感じているという。
ストレスは、自我が未完成で、すぐに単純に他人の生活と自分の生活を比べたり、
深く影響されるところに起きるものと言われる。

 ストレスは文明の先端を行く国に多いのだろうと私は長い間思いこんでいたが、
まだ残っている封建的社会にも実はあるのだと或る時教えられた。社会の常識が
許しているというので夫が複数の妻を持とうとしたり、同族の絆(きずな)の
強い共同生活に耐えようとすると、それがやはりストレスになるという。
 私は昔から、自分の弱さをカバーするために、いつも「足し算・引き算」の方式で
自分の心を操って来た。
 健康で、すべてが十分に与えられて当然と思っている人は、
少しでもそこに欠落した部分ができるともう許せず耐えられなくなる。
私が勝手に名付けたのだが、これを引き算型人生という。
それに反して私は欠落と不遇を人生の出発点であり原型だと思っているから、
何でもそれよりよければありがたい。

 ≪完全な平等だけを評価≫
 食べるもの、寝る所、水道、清潔なトイレ、安全正確な輸送機関、職業があること、
困った時相談する場所、ただで本が読める図書館、健康保険、
重症であれば意識がなくても手持ちの金が一円もなくても
とにかく医療機関に運んでくれる救急車、電車やバスの高齢者パス。
 何よりも日常生活の中に爆発音がしない。それだけでも天国と感じている。
これが足し算型の人生の実感だ。これだけよくできた社会に生まれた幸運を
感謝しないのは不思議だと思う。

私の田舎では、65歳以降になると、足となる交通機関を使うときにパスを提示すれば
無料でした。今はどうかな・・・?市の財政が苦しく、これを廃止もしくは
一部負担という話しがでたときに、ものすごい猛反発がありました。
申し訳ないですけどね、働き盛りの人間だって今の高い保険料・年金・税を負担し
生活を切り詰めて多少の不調はガマンしているのですからね、
一部負担であっても、ありがたいと思っていただきたいと、そう思いましたよ。
結局、一部負担になったと思いますけど、そでも本当に一部の負担なんですよ。
この制度を日本で取り決めているわけではなく、市町村独自のことであり、
それをありがたいと思ってもらえない。その上、ならばずに横入りする。
堂々と、子どもたちの前でも平気で守らない。声を大にして言いたいところです。
もちろん、本当に生活苦のお年寄りや病気を患っている方などには
同じようにとはいいません。誰でも年令がきたらという考えかたに問題だと思うのです。


 しかし人間は、教育し鍛えられなければ、このように思えない。
子供は幼い時から悲しみと辛さに耐えるしつけが必要だ。平等は願わしいものだが、
現実として社会はまず平等であり得ない。しかし不平等な才能があちこちで開花している。
それなのに完全な平等しか評価しない人間の欲求は、深く心を蝕(むしば)む。
 叱(しか)る先生は父兄に文句を言われるから「生徒さま方をお預かりする営業的塾の
教師」のようなことなかれ主義になった。何か事件があると、マスコミは校長や教師を
非難するが、子供の成長に誰よりも大きな責任を有するのは、
他ならぬ親と本人なのである。生活を別にしている教師など、
子供の生活のほんの一部を見ているに過ぎない。

子どもにはよく話します。人は平等であるとか、そんな話しはキレイごとでしょうと。
実際には、いくつも才能を持った人間もいますしね。
平等なのはせいぜい与えられた一日24時間という時間だけかもしれないと。
将来の夢を壊すようですが現実に世にでたときに苦しむであろう、
自分に勝てないであろうと、そう思うのです。一日をどれだけ大事に有意義に過ごすか、
今の行き方で将来への方向も開けるのではないかと。
マイナス思考かもしれませんが今やれることはしよう!が我が家のモットーなんです。


≪人のためを考えること≫ 
 躾(しつ)ける親も少ない。子供たちは叱られたことも、
家事を分担させられたこともない家庭が多いという。親たちも享楽的になっていて、
来る日も来る日も家庭で食事の用意をするという人間生活の基本を見せてやる親も
減ったというから、人格を作る努力や忍耐の継続が生活の中で身につかない。
だからいつまで経っても、自分は一人前の生活をできる存在だという自信もつかない。
この自信のなさが、荒れた人間性を生むのである。
 何より怖いのは、子供たちが本を読まないことだ。つまり自分以外の人生を
考えたこともない身勝手な意識のままの大人になる。
本の知恵はテレビやインターネットの知識とは違う。

子どもたちが小学生のころに学校からのアンケートがありました。
内容は食や生活に関することでした。その中で月に何度外食するか、
レトルト品を口にするか、購入してくる惣菜を何度口にするかなどでした。
アンケート結果を見て、正直驚きました。とにかく回数のおおいこと。
忙しい家庭が増えたことも理由のひとつだと思いますけど
我が家の低層家庭では外食なんて月単位ではなく年に2回?そんなもの。
それは別として、どう考えても家庭で料理をしないことが増えていると思います。
それが悪いということまで私はいえませんが、その姿を
子どもたちに見せることができないということに関して、マイナスなのではないかなと、
そう個人的思います。


 戦後教育は「皆いい子」と教えた。ところが人間性の中には、見事さと同時に
底なしの身勝手さと残忍さも共存している。このおぞましい部分を正視してそれに
備えていないから、思いつきで人を殺す。多分罪を犯したこじつけの言い訳だけは
ちゃんと自分の中に用意しているのだ。今はDNA鑑定にも何故か黙っているが、
昔は指紋登録だけでも人権侵害だと言って大騒ぎした人たちがいた。
言うことの筋が通らない。
 人間は自分のためだけでなく、人のためにも生きるものだという考えは、
すべて軍国主義や資本主義の悪に利用されるだけだ、という人は今でもいる。
人は自分独自の美学を選んで生きる勇気を持ち、自分の意志で人に与える生活が
できてこそ、初めてほんとうの自由人になる。受けるだけを要求することが
人権だなどと思わせたら、今後も不安と不幸に苛(さいな)まれる人は増え続けるだろう。
今年は政治や社会がそのことに気づくかどうか。(その あやこ=作家)

(引用;イザニュース 
  http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/114334/)
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