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やはり「新学力観」が問題だ


【正論】西村和雄 やはり「新学力観」が問題だ

昨年春に文部省の学力テスト結果から、ゆとり教育に異論をとなえはじめましたね。
現在、子どもをもつ私の主観から、ゆとり教育の話しがでたときから
先がこうなるのは予測していました。しかたない、現場の先生が決めたことではない、
結局は知らない者が決めるのですから。
二極化の時代になり、子供達の学力も二極化しております。
まさに、家庭の力を子どもの学力にあわせるようなかたちになり、
中間層がどんどん減り続けているように思えます。

■OECD調査に悪影響が見える
 ≪さらに低下したレベル≫

 昨年12月に、15歳の生徒を対象とした経済協力開発機構(OECD)による
第3回の学習到達度調査(PISA)の結果が発表された。日本は、読解力が15位、
数学的応用力が6位、科学的応用力が10位との結果であった。・・・
 1回目から指摘されていた、トップレベルの生徒の割合が、他の上位国に比べて少ない、
論述式の問題で無回答の多さが目立つことなどは、今回も改善していない。
しかも、テストと同時に行われた科学に関する意識調査では、科学を重要と答えた生徒が、
57カ国中最低の57位であった。

以前も述べさせていただきましたが今までの ゆとり教育では
どうして科学(理科)に興味をもてるでしょうか。
小学生の教科書はまるで絵本のようですし、そもそも理科は
すべて授業をおこなうわけではありません。お題が2つあれば
どちらか1つでよいのです。そこは先生の判断になります。
そんな教科書って必要なのでしょうか??と疑問になりました。
ゆとり教育で総合の時間がふえ、理科の時間は減り、実験もできないほど
時間数も不足しています。そんな子どもたちに科学を重要と思えるか、思えませんよね。


 文部科学省は、次期の指導要領の、理科と算数・数学を優先的に前倒しして、
2009年から実施することを決めた。次期学習指導要領は、主要教科の授業時間を
1割増やし、総合学習の時間を週1時間削減するなど、これまで続いていた授業時間の
減少に歯止めをかけるものである。
 これについては、ゆとり教育の見直しという評価もある一方、
文科省は1996年の中教審答申で提唱された「生きる力」が基本理念であり、
これまで「理念を実現する手立てが必ずしも十分でなかった」ととらえている。

それでも生きる力を追い求める。もちろん生きる力は需要だと思います。
ですが基本的なことを学ばない、いえ、知らない子たちが
少ない引き出しをつかって、どうして生きる力を見出せるのでしょう。
大きな才能で世で活躍・成功をおさめることもありますが
ドリームはまさに夢でしかありません。万人ではありません。
少しでも知識という引き出しをもっているところから抜き出し考え行動しているのが
一般的なことではないかと、自分は思います。
人は皆同じではありませんが、政策の誤りの被害者は子どもたちです。


 ≪見逃されている改革≫

 2005年に、当時の中山成彬文科相は、ゆとり教育見直しを明確に示唆し、
中央教育審議会に対して、指導要領を見直すことを要請している。その具体的な中身は、
国語、理数、外国語教育の改善充実、教科や総合学習のあり方、教科書、
指導方法の改善、土曜日、長期休みの活用などを含む課題である。
 しかし、その後の中教審では、教科書、指導方法の改善も、十分な検討が
なされていたとはいえない。また、総合学習の見直しは、小学校で総合学習が
1コマ減るのでは、多くの小学校が総合学習で既に英語に取り組んでいるだけに、
現状とあまり変わらない。
 総合学習は、むしろ、任意化して、現場の裁量に任せ、有効に活用できる学校のみが
やるとする方が良いであろう。教科の授業時間は、現場の実態からすると1割増でも
足りなく、具体的にどんな内容を盛るか、どこまで現場裁量を認めるかが
今後の課題である。ゆとり教育の見直しで必要とされる改革とは、カリキュラムや
教科書の質を向上させ、現場の裁量を増やすことである。
 1980年代に設置され、その後の教育改革に影響を与えた臨時教育審議会でも、
「学習指導要領は、内容を大綱化し、教科書検定を簡素化する」と「教科書の質の上昇、
創意工夫の促進・地方分権の促進」は既に提言されていた。
 指導要領の大綱化、検定の簡素化は、教育の本質的改善策であるが、
これらの具体的な計画はまったく聞かない。

 ≪中教審に立脚した理念≫

 また、絶対評価、すなわち、「関心・意欲・態度」を重視して、先生の主観で、
各教科の点数をつけるという、現在、公立学校が採用している評価方法の見直しの
気配も一向にない。
 指導要領の本質的見直しが進まず、一方、絶対評価という名の主観評価を
やめないのは、中教審に立脚している理念が「新学力観」だからである。
 1989年に告知された指導要領は、新学力観に基づくものとして、位置づけられた。
新学力観とは、個性を重視し、従って、学ぶ過程、すなわち「関心・意欲・態度」を含めて
新しい学力と呼び、それを重視するというものである。
 1991年に、文部省は、指導要領を、「絶対評価が基本」に改める方針を出している。
この改訂を受けて、1994年の高校入試から、「生徒会活動」「学校行事」などから
成る特別活動の記録を内申点に入れる県が増加してきた。
 更に、1996年の中央教育審議会の答申では、「生きる力」と「個性重視」を強調し、
改めて、新学力観を確認している。
 2002年からは、内申書の評点も絶対評価に改められ、学力評価が観点別評価、
すなわち、生徒の「関心・意欲・態度」、「思考・判断」、「技能・表現」、「知識・理解」の
それぞれに成績をつけ、教科の評点とする方式が採用された。このような、
「新学力観」に基づく、主観的評価から成る内申書は、中学生に与えるストレスが大きく、
また、通常の学力形成を阻害することになる。
 このようにみてみると、「新学力観」は、これまでのゆとり教育政策の基本理念で
あったことになる。この新学力観を廃止しない限り、学力向上はあり得ないであろう。
(にしむら かずお=京都大学経済研究所所長)

この評価方法で、子どもたちは本当にかわいそうです。
同じような子どもで100点の子と95点の子がいて、
態度も同じくらいのときに、先生の判断で95点の子がAをもらうこともあり。
学年トップクラスの子でも、先生にすかれていなければランクCなんてこもあります。
素行が悪いだの、提出物の忘れ、いろいろあります。
すべて点数だけではないということなのもわかりますが、
曖昧な評価基準のために、まさに先生に気に入られるかに必死になります。
内申書というものに、子どもたちがどれほど大人社会よりもストレスをうけているか。
すでに、こびることをしなければなりません。
友人のお子さんの中学校では
美術の先生が誰にも5を与えないそうです。なぜか、
芸術に満点はいないという持論だそうです。
おかしいですよね・・・まじめに取り組み、まじめに生活をし、点をとれば
評価をもらえる状況ではありません。先生のお声ひとつ。
公平な先生であればよいのですが、先生も人の子ですから・・・


(引用:イザニュース
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/115895/
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